「何をしたんですか? あんなに頑固で、私の言うことを聞かない子が、めちゃめちゃ素直になってるんですけど!」
先日、深谷太陽農園に2週間の体験にきた子がいました。
これはその子の支援員に言われた言葉です。
不思議なものですね。
深谷太陽農園で研修(働く)する中で、何かを感じとり、感情の変化があったんだと思います。
それはなんなんだろうなー、と考えたんですが、
おそらく、それは、「信用」とか「信頼」というものだと思います。
では、なぜ彼女は私たちを信用しようとたのか、
それは、深谷太陽農園では、嘘をつくことを禁止にしているからだと思います。
なんか特に障がい福祉業界は、嘘と偽善に溢れかえっている感じがしており、
彼女自身もそれに気づいて嫌気がさしているけれど、自分ではそれを変えていったり、闘っていくとはできない、
そんな中、嘘をつかない、ということを大事にしている深谷太陽農園を信用すると決めたんだと思います。
結果、それが彼女の「居場所」になったんだと。
一口に居場所と言っても物理的な居場所、精神的な居場所と様々であって人それぞれと感じます。
共同生活援助事業所で生活している研修者は、事業所内での対人関係や食生活面において不安や疑問、不便さを感じていました。
双方の言い分もあるのは十分に承知していますが、私達にとってはそんな事はどうでもいいのです。
詳細は省きますが、内容を聞くと、耳を疑ってしまうような事柄ばかりでした。
様々な要素があり、研修者に対し支援者側の対応が発生しているのではあると思いますが、私達には到底理解が出来ない内容でありました。
「利用者」ではなく家族同等の存在であったら、若しくは「人として」という考えを持てる支援者であったら研修者が抱えていた問題も実は、複雑な問題にならず多少は軽減されいるのではと感じます。
支援者側にも生活があり、事業を成り立たせないといけないという使命もあるのでしょう。
ですが、「人として」という抽象的であり普遍的な言葉が命ある言葉であったなら研修者の悩みは違う事なのかなとふと感じました。
大切な人の言葉や行動に対し、大抵の方は気にかけ、寄り添うと思います。
そんな行動を家族であれ仲間であれ、側にいる人に行う事が出来たら、居場所というものが作れるのではないでしょうか?
私達は如何なる障害であれ、私達と日々直接接している人間の言い分や思いが事実であり、その事実のみこそが一番の事実と考えています。
研修生であれ、短期間でも私達と時間を過ごした方が、私達を必要とするならば出来る事は全力で対応していきます。
就労としてだけでなく、誰かの「居場所」になれるのであれば私達は全力を尽くします。
これからもどんな人でも、どんな境遇でも、どんな状態でも、どんな過去があったとしても、
深谷太陽農園は、研修を受け入れていきます。
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